今年1月、我が家に100杯のコーヒーが届いたことは、記憶に新しい。
友人に配ったり、振舞ったり、振りかけたりしているうちに、いつのまにか100杯のコーヒーは無くなっていた。ラスト5杯くらいになって、「あれ?終わる?終わるのか?」…と、目を丸くして驚いた。
たぶん85杯くらいは自分で飲んだ。幸運なことに美味しいドリップコーヒーだったから、最後まで飽きることなく美味しく飲めた。ブラックで飲んだり、牛乳を入れたり、浴槽に張ったりなどした。
…さて、
これからどうしよう。
「朝のコーヒーの味」として、完全に舌にインプットされてしまった。もうほとんど「パブロフの犬」状態で、朝起きて布団から出ると口の中に味がするほどだ。(これはマジ)
いまさら他のコーヒーなんて、飲めるのだろうか。
しかもあれは、叔父さんが正月に買ってくれた、ちょい高めのドリップコーヒー。今後自分であれを買い続けるのは、経済的にかなり負担になる。
ああ
なんてことだ
完全に
調教されてしまった
スーパーに陳列されたドリップコーヒー達を見ていると、もう彼女しか目に入らない。ボクは盲目的に、彼女をカゴに入れてレジへと向かうだろう。経済はこうして回り、ボクの目も回り、コーヒーは血の一滴となって身体中を駆け回る、だろう。再びブラックで飲んだり、牛乳を入れたり、洗濯に使ったりするだろう。
夏が来れば、洗濯の頻度も上がる。
…そう考えると、大量消費を見越して、やはり安いコーヒーを買わねばいけないな。