階段を降りられなくなったことはあるだろうか。
僕はある。
それはいつか?
今日だ。
今日は昼過ぎに仕事を終え、夕方以降を休息にあてた。
さて何をしよう…Amazonプライムで映画を見るか、はたまたジムに行くか…。
いやいや、ジムは昨日行った。胸と背中をハードに鍛えたから、今日は行かないつもりだったっけ。
実際、ふと「それ」に気が付くまでは、ジムに行くつもりはなかったのだ。
僕の通うジムには、無料のプログラムがある。
ヨガだとか、エアロビだとか、ジャズダンスなどがそれだ。
毎週決まった時間に行われるそれらの催しに、僕は入会して4か月間、一度も行ったことがなかった。
ふむ。
なるほど、ヨガやエアロビなら、筋肉痛でもできそうだ。
行ってみるか。
…暇だし。
僕はジムへと向かった。
しかしまあ、ジムでマシンを目の前にすると、やはり使いたくなるものだ。昨日混んでいて出来なかったマシンを4種ほど使うと、ちょうどいい感じに筋肉が疲れてくれた。
結局、普通に筋トレをしてしまった。ヨガやらエアロビのことなんてすっかり忘れて、疲れた体でジムを出ようとした、その時、大きな看板が目に入った。
『本日のプログラム』
ああそうだ。
僕はプログラムに参加するつもりだったんだ。
受付のお姉さんに、プログラムに参加したことがないがどのような手続きで参加できるのか、また、今から行われるプログラムはどのようなものなのか、を聞くと、
「あちらのスタジオに入ってお待ちください。今から行われるのは軽い下半身の運動ですね。初心者の方にもおすすめです!」
と言われたので、軽い気持ちでスタジオに入った。ぱらぱらと人がいた。
僕はどう見ても最年少で、親世代の人たちが90%を占めていた。
ふっ。
こりゃあ、思ったよりヌルそうだぜ。
その20分後、僕は階段を「アヒィ♡」と言いながら降りるはめになるのだが、このときの僕に、それを知る由はない。
『暗闇WORK OUT』と書かれたそのプログラムは、小さなスタジオでダンスミュージックに合わせて身体を動かす、というものだった。
快活なお兄さんが前に立ち、スタジオの電気を消した。
爆音で音楽が流れる。なかなか派手な外見の運動だ。おいおい、ご老体にはキツいんじゃないのか?(笑)
「まずは右足から歩いてみましょう!はい、ワン、ツー、ワン、ツー!」
お兄さんの先導に従って、その場で足踏みを始める。周りのみんなも、ドスドスと動き出した。
音楽に乗って足踏みをするのは、なるほどなかなかに気持ちがいい。…これなら永遠にできるぞ、と思っていた過去の自分を殴りたい。
「次はその場で腰を落としましょう!はい、ワン、ツー、ワン、ツー!」
踏み出した足に体重をかけて、もう片足の膝を地面につける。お兄さんの指示はそれだけだった。
「交互にやりましょう!はい、ワン、ツー、ワン、ツー!」
ようは片足スクワットだ。ヘヴィな運動ではあるが、それゆえに、周りのご老人は永くはもつまい。
ははーん、あれだろ?
どうせ休憩多めの、疲れた人から抜けていくスタイルだろ?
「あと8回!はい、ワン、ツー、ワン、ツー!」
…。
あれから10分。音楽は鳴りやまず、お兄さんの声も途切れない。それどころか、お兄さん、声だんだん大きくなってません?
あ、サビに入ったからか。…えっと、これ、何回目のサビ?
みなさんは、爆音の中で10分間片足スクワットをしたことはあるだろうか?
僕はさすがに疲れてきた。足が重い。腿が固い。膝が信じられないほどの熱を発している。
プログラム中に休憩はなかった。正確には、何セットかやったあとに数歩「歩く」という形の休憩が挟まれた。
つまりこの10分間、座ることはおろか、足を止めることもできなかったのだ。
「今度は床タッチ!はい、ワン、ツー、ワン、ツー!」
驚くべきは、周りの人たちの体力だ。誰一人欠けることなく、このハードな運動についてきている。
しかも、僕の前にいるおばさん(むしろおばあさん)なんて、床タッチの後に、あまつさえ少しジャンプしている。
よく、まだ、宙に浮く体力があるな…。
この頃には僕もさすがに理解していた。ここにいる人たちは、みな常連なのだ。
なぜならインストラクターが指示を出す前に、みんな次の動作に入っている。つまりプログラムの順番を、完全に暗記しているのだ。
一糸乱れぬその動きは、さながら訓練された兵隊のようであった。
しつこいようだが、、誰一人脱落しないことに僕は本当に驚いた。あなたたち、一体何者なんですか?
そして15分が経過した。
僕はもう止めたかった。膝を沈めるたびに、腿の表側がつりそうになる。
というか、実際に何度かつった。そのたびに必死に修復し、何食わぬふりして喰らいついてきた。
でも、もうダメだ。
身体の限界もさることながら、僕は少し恐怖すら覚えていた。
もちろん15分経っても、誰も脱落しない。
この感じはあれだ。
シャトルランだ。
小学生の頃、持久力のなかった僕はマラソンが大嫌いだった。
特に嫌いだったのはそう、シャトルラン。ドレミに合わせてひたすら走り続ける、体力測定に使われるアレだ。
シャトルランの何が嫌いかって、あの「同調圧力」だった。
「みんな走ってるし、まだ行けるだろ」
「まさかもう止めたりしないよね?」
「根性ないと思われたらどうしよう…」
本当はみんな止めたいのに、まわりを見ながら脱落の機をうかがうあの空気。あれがとても嫌だった。
そのシャトルランと、このプログラムは酷似している。
というか、プログラムが最後まで成り立つのは、まさに「同調圧力」の賜物なのではないか?
自分で言うのもなんだが、僕はこの中で一番若いし、体力も人並みにあるはずだ。
その僕がこんなに辛いのだ。きっとご年配のみなさんは、もっと辛いに違いない。今すぐ止めたいに違いない。
…はっ!
そこで天啓が閃いた。
僕が止めればいいのでは…?
最年少の僕が止めれば、「あの若者も止めたんだからもう止めていいよね」という空気が生まれるはずだ。
シャトルラン理論だ。すなわちシャトルランの終わりは、クラスで一番体力のある男子が止まったとき、だったではないか!
それが、今は、僕だ!僕に主導権があるのだ!
…。
…そう…だよね?
と一瞬疑った僕は、目の前のおばさん(むしろおばあさん)を見た。
スクワットの度に、宙高く飛びあがっていた。笑顔で。
あ。
僕が体力ないだけだ、これ。
20分間のプログラムが終わると、ぞろぞろと皆スタジオの外へ出ていく。
予想通り、仲良しグループでくっついて話したり水を飲んだりしている。
ふう。
終わってみれば一瞬、なんてことはなく、長い長い時間だった。
疲れた。あと痛いし、熱い。足が火を噴きそう。
先ほど質問をした受付のお姉さんに「ありがとうございました」と挨拶をすると、「おつかれさまでした!」と返してくれた。
「またのご参加をお待ちしております!」
またのご参加を繰り返すと、あのお婆さんのような飛行能力が身につくのだな。
しかしまあ、終わってみれば圧倒的な爽快感。よくやったよ自分。結局最後まで残ったし、ちなみに誰も脱落しなかった。
ジムに通ってるだけある。みなさん、最高にカッコよかったです。
よし、僕もまた、別のプログラムに参加してみようかな!
この筋肉痛がなくなったら、ね。