挨拶
「会社を辞めて一年経つからブログを書こう!」とスマホのリマインダーが鳴って、なるほど、一年前の自分は、ブログの更新を辞めているだなんて毛ほども考えていなかったのだな、と呆れた。
2018年9月から毎日続けたブログの更新を、僕は2019年12月31日をもって終了した。嫌になったとか飽きたとかそういうことではなく、ただある日、惰性で更新している自分に気が付いたのだ。それと、当時はゼロカラカンパニーのYouTubeに火をつけようと躍起になっていて、毎日毎日YouTubeのことばかり考えていた。ブログの更新はここで辞めよう、YouTubeに集中しよう、と考えたのは至極自然な発想であり、その選択は正しかったと確信している。
とはいえ、何も言わずにパッと辞めたのは良くなかった。「最近ブログ更新してませんねぇ」と言われるのは心苦しかったし、「彦穂さん!ブログ毎日読んでますよ!」と言ってくれる知人の優しい嘘が本当の嘘になってしまった。それでも僕は、「またいつでもブログは書ける。書く場所があるというだけで素晴らしい」と信じ、再びこのブログが動くときを待った。
そして、どうやら今がそのときらしい。
過去の自分のリマインドに応えるために、そして、ふつふつと執筆欲が高まってきたこともあり、約8か月ぶりにブログを書くことにする。みなさま、お久しぶりです。月岡彦穂です。
会社を辞めて一年経った
「会社を辞めて一年経つからブログを書こう!」とリマインダーをセットした2019年の僕は、2020年の僕に何を書いてほしかったのだろうか。それはおそらく、こんな具合なのだろう。
「今は会社員時代より元気にやってるし、人生が最高に楽しい!会社辞めてよかった!」
まるで意識だけが空回りした大学2年生のような台詞だ。ともすれば白い目で見られてしまいそうな、この青い未来予想図。
しかし結論から言えば、この期待には、大方応えられていると思う。
今は会社員時代より元気にやってるし、会社は辞めてよかった。人生は「最高」かは分からないが「優」くらいには楽しい。「良」よりは上だ。自分の好きなことを仕事にしているのだから、これで楽しくなかったら何が楽しいというのだろう。
ただ、やはりまだ一年。言うほど軌道には乗っていないし、夢もまだ叶ってないし、タワーマンションにも住んでいない。好きなことをするために、嫌いなことだってやっている。現実の厳しさや理不尽さ(会社員時代のいかに守られていたことか!)に身一つで立ち向かわなければならないこの人生は、まだ「最高」には程遠い。
一年間フリーランスをやって得たものは、「仕事を頑張ることの楽しさ」だ。こればかりはもう、絶対に会社にいたら分からなかった。
なぜならば会社とは「所属しているだけで生活が保障されるマジックボックス」だからだ。少し棘のある言い方になってしまったが、どんなに仕事ができなくても、サボっていても、素行不良でも、会社員は「労働者」であるだけで生活が保障され、「○○○の社員」という身分と信用が与えられる。それは、大きな特権であり、とても素晴らしいことだ。
フリーランスには、それがない。生活や信用など気が緩めばすぐに崩壊するし、それらはすべて自分のせい。ただ、フリーランスの面白いところは、生活水準や信頼度を「自分の努力次第」で上げられるところだ。
会社員は、良くも悪くもチームプレイだ。自分がどんなに頑張っても、だらしないチームメイトのせいで成果が出ないこともある(こともある、というか、きっと山程あるのだろう)。
一方でフリーランスは、良くも悪くもワンマンプレイだ。自分が頑張れば頑張った分の結果が出るし、サボったらサボった分の結果が出る。要はハイリスクハイリターンなのだ。そしてこのハイリスクハイリターンの世界は、案外面白いのだ。
僕は筋トレが趣味なのだが、本当に、筋トレとフリーランスの仕事は似ている。できることだけやっていたら成長しないし、結果を出すには負荷がいる。たくさんの栄養(知識)を取らなければいけないし、誰からも強制されていないので、常に自分を奮い立たせなければならない。
自分で言うのは恥ずかしいけれど、僕はこの一年で少し逞しくなったと思う。こう、物事に対して強気に出られるようになった。尻込みをしなくなった。スラム街で育った子供のように、フリーランスとして僕を揉んでくれたあらゆる人と環境に、まずは感謝したい。そして、これから出会う数えきれないほどの人達や、待っているはずの明るい未来に、今からワクワクが止まらないのだ。
引っ越しの話
これはもうタイトルの通りなのだけど、8月から僕は「宮城県仙台市」に住み始めた。
事の経緯を話すならば、そもそも僕は去年会社を辞めた時点で、埼玉県にいる意味はなくなっていたのだ。そして極めつけに、コロナによる仕事のオンライン化(ゼロカラカンパニーでは、すべての仕事を早急にオンライン化しました)があり、いよいよ高い家賃を払って埼玉にいる意味は無くなりつつあった。そこに、SUISOを始めとする仙台での熱い仕事がちらほらと舞い込んできて、これはもうどう考えても仙台だろう、風、吹いてるよね完全に、と、勢いに任せて、6月頃から急速に引っ越しに向けて動き出していた。
「コロナもあるのに関東から引っ越しだなんて!」という声があるのは重々承知しているし、不快な気持ちをされた方にはしっかりと謝りたい。だけど、いつになるか分からないコロナの収束を待っていたら、仙台で僕を待つ数々の「チャンス」は、どこかに逃げてなくなってしまっただろう。
人生は、タイミングなのだ。運命とかきっかけみたいな曖昧なものは、決してちっぽけな人間ひとりなど待ってはくれないのだ。
だから僕は、様々な意見を承知の上で、仙台へと引っ越した。引っ越してから2週間は、仕事と日用品の買い物以外の外出を極力控え、感染予防を徹底した(海外から帰国した人と同じ生活だ)。そして2週間が経ったので、ジムなどに通い、もう普通の生活を始めている。
仙台は素敵な街だ。思えば僕は会社員時代から事あるごとに、「仙台いいなー。また住みたいなー。」とぼやいていた。学生時代を過ごした仙台。思い出補正はあるにせよ、色々な土地へ行くたびに相対的に仙台の魅力は増していった。
それに仙台には、フリーランス(或いは経営者)として働く熱い仲間たちがいた。なんというか、今にして思えば、本当は会社を辞めた瞬間に仙台に引っ越すべきだったのだ。繋がりも、仲間も、仕事も、好きな店も、好きな人も、仙台には最初からすべてがあったのだ。
僕が仙台でどう転がるかは、分からない。分からないけど、叶えたい夢は明確にあるので、そこに向かっていくだけだ。(ここには書かないことにする。沈黙は金。)
ただひとつ言えることは、「仙台になんて引っ越さなければよかった!」とぼやく自分は、未来のどこを探しても存在しないということだ。
仕事は、人生は面白い。リマインダーに「会社を辞めて二年経つからブログを書こう!」とセットして、このブログを終わろうと思う。