「今日の定食は、味、濃かったですか?」
見慣れた日高屋のレジで、見慣れたおばちゃんにそう問われた。
「味···ですか」
このおばちゃんとは今まで「野菜たっぷりラーメンの麺大盛りで」「あい」くらいしか会話したことがなかったので、突然話しかけられてそれはそれは驚いた。思えばそれが、ボクとおばちゃんの初めての人間的な会話だったかもしれない。
「えっと···どうしてですか?」
確かにここの日高屋は、他の店舗と比べてかなり味が濃い。
日高屋マイスターのボクが言うのだから間違いない。いつも注文する野菜たっぷりラーメンも、さっぱり塩味と言うよりはもったり塩味で、ちょっとクドいけどまあ夏はこれくらいがちょうどいいのかもな、もしかしたら東京ではこれくらいの味付けが主流なのかもしれないな、と、ボクはうまく妥協点を見つけていたのだが、
「他のお客様から、そのようなクレームがありまして…」
とおばちゃんが言うのを聞いて確信に変わった。
ちょうど良くなかったのだ。
みんな、味が濃いと思いながら食べていたのだ。
そしてみんなが各々の妥協点を探していたところに、これではいかんと立ち上がった民がいたのだ。
バツの悪そうな顔をするおばちゃんを見ていると、自分だけはこのおばちゃんの味方をしてあげなきゃという、圧倒的な使命感に駆られた。
そのクレーマーの言ったことが正論なのはもはや疑いようもないが、正論がいつでも世界を救うとは限らない。
だってほら、いつも元気なおばちゃんがこんなにも悲しそうだ。この店はあれでよかったのだ。味が濃いことに気付かない料理長と、いつも明るく元気な注文取りのおばちゃん。それだけでよかったのだ。汚いところは目をつぶって、みんなで争いもせず平和に暮らしていたのだ。
そう考えると、顔も知らないそのクレーマーにだんだん腹が立ってきた。誰だか知らないが、俺たちの日高屋に土足で踏み込みやがって。靴を脱げ。飯を食え。味が濃ければ水を足せ。…おばちゃんの笑顔をかえせ!
ボクはおばちゃんを元気づけるセリフを言うため、顔を上げ、息を吸い込んだ。
そのとき、
ボクは気づいてしまった。
おばちゃんが、いつになく真剣な顔をしていることに。
おばちゃんの顔は、「この日高屋をより良い店にしたい」という使命感と責任感であふれていた。
決してボクに「そんなことありませんよ」と言ってほしそうな雰囲気ではなかった。
意見を傾聴し、現状を打破しようという真摯さ。
素手で触れたら皮膚が切り裂けそうな緊張感。
普段の明るく元気な様子からは想像もできないほど、別人と化したおばちゃんがそこにいた。おばちゃんはもしかしたら、この店の店長なのかもしれないな、なんてことをふと思った。
そんなおばちゃんを見ていると、自分の考えがいかに浅はかで愚かなものか思い知った。「味が濃いだなんて、そんなことないですよ。塩分は世界一適量です」くらいに言おうとしていたのだが、そのセリフはいますぐ捨て去らなければならない。おばちゃんに対して、日高屋に対して、そして勇気を出して立ち上がった名も知らぬクレーマーに失礼だ。さっきは水で薄めて食えとか言ってごめんね。
考えること3秒。ボクは口を開いた。
「確かに···この店は他の日高屋と比べて、少し味が濃いかもしれません」
次の瞬間、
おばちゃんは間違いなくこう言った。
「たくさんの日高屋をご利用いただき、ありがとうございます」
なんということだ。
この人は自分の店のみならず、他の店の幸せまで願っているのか。
もはや店長というレベルではない。
社長だ。
この人は日高屋の社長なのだ。
そんな恐れ多い方を前に、ボクはいっも「野菜たっぷりラーメンの麺大盛りで」などとほざいていたのか。次からは必ず餃子とライスもつけよう。少しでも日高屋の売り上げに貢献しよう。
「参考にさせていただきます。次からは、『味薄め』とおっしゃって頂ければ、必ずそのように致しますので」
どこまでも低姿勢な社長を前に、ボクはただ「ああ」「ええ」「そんな」としか言えなかった。いつものおばちゃんが、別人のように輝いて見えた。きっと家のガレッジには3台の外車が停めてあり、信じられないくらいふわふわの犬が邸内を走り回っていることだろう。
いままでパートのおばちゃんだと思っててごめんなさい。いや、誠に申し訳御座いませんでした…!社長に敬意をこめて、ボクは精一杯の気持ちを込めてこう言った。
「また食べに来ます!ごちそうさまでした!」
あの日高屋の味が薄くなり、お客さんが増え、ますます発展していくことを、ひとりの日高屋ファンとして切に願う。そしてあそこまで偉大で崇高なおばちゃんの名前を調べるために、「日高屋 社長」で検索すると、見たこともないおっさんの画像がそこにはあった。