「愛」について書こうと思う。
大味な書き出しに自分自身戸惑っているが、昨日見た映画「ラブ・アクチュアリー」にはそれだけの力があった。
映画の舞台はクリスマスを目前に控えたロンドン。夫婦、職場、学校、官邸まで様々な人物の恋愛、家族愛、友愛をショートストーリー風に描き、それでいて登場人物同市が細かく繋がっているという、ユーモアに溢れた2000年代のヒューマンドラマだ。
実は「ラブ・アクチュアリー」を見るのは2回目で、1回目は大学生の頃、近所のレンタルショップで借りて自宅で観たのだった。
とても寒い日だったのを覚えている。誰かと観たような気がするが、誰と観たのだったか、はっきりと思い出すことができない。
当時と今とで、僕は随分変わった。たぶん良い意味でも、悪い意味でも。
そもそも、もう学生ではなくなったし、仙台には住んでいないし、古い映画はレンタルショップではなくストリーミングサービスで探すようになった。
だからなのか、そうでないのか、2回目の「ラブ・アクチュアリー」は1回目とは違って見えた。
そんなわけで、今日は「愛」について書こうと思うわけだ。
学生時代に住んでいた古くてボロいあの部屋は、仙台市の国道沿いにありながら家賃34,000円という破格の物件だった。
親からの少ない仕送りと、種々のアルバイトで生計をたてていた僕に、その部屋から引っ越す選択肢などなかったし、仮にあったとしても、たぶん引っ越さなかったと思う。
部屋は6畳のワンルームで、言いたいことは山程あったが、一番の問題は、エアコンが付いていないことだった。夏の夜は眠れないほど暑く、冬の夜はこたつに入ってストーブをつけ、そこから一歩も動けなかった。「きっと東北の人はエアコンを使わないのだろう」と思っていた時期もあったが、友達の部屋にはみな、エアコンがしっかりと備わっていた。よく考えてみれば、東北の人がエアコンを使わないはずないのだ。
しかしそんな我が家に、意外なほど友達は集まってきた。
理由はただひとつ、立地が便利だからだ。
起伏の激しい仙台市の中でも平地部に位置する我が家の近くには、24時間営業の安いスーパーがあり、大学からもそう離れてはおらず、金のない大学生にとって宅飲みの会場としては最適だった。「大学生が友人と遊ぶ」と言ったら街に出て派手に遊ぶイメージがあるかもしれないが、僕の青春はほとんどが家で友と飲む酒で構成されていた。
だから僕は、なんだかんだ言ってあの部屋が好きだった。いや、正確には、あの部屋に友達を呼ぶのが好きだった。
ある年の夏、僕は失恋し、そのショックを女々しく冬まで引きずっていた。同じく失恋したばかりの友人2人を招いて、うちでよく飲んでいた。傷心飲み会というやつだ。
飲み会の話題は、最初こそ恨みつらみで構成されるものの、すぐに馬鹿馬鹿しい話へとシフトし、最後はきまってゲラゲラと笑っていた。誰にも終電の概念がなかったので、よく朝まで飲んでいたような気がしないでもない。(このへん、記憶が少し曖昧だ)
クリスマスが間近になると、傷心パーティーは益々集まるようになった。金のない、けど時間はある、馬鹿馬鹿しい話が好きな連中が少しずつ集まるようになり、パーティーはちょっとした勢力になった。鍋をつつき、酒を飲み、足りなくなったらコートを着て買い出しへ。寒い我が家でこたつに入り、ぬくぬくと時間を溶かした。
それがまだ、意外と最近であることを思い出した。
あれから今日までに、何をしてきただろうか。彼氏と結婚したい女や、妻と別れたい男。未成年と付き合う中年男や、10年添い遂げて結婚したカップルを見てきた。その脇で、僕は何をしてきただろうか。そんなことを考えてしまった。
「学生の頃は良かった」なんて言う大人には、絶対になりたくない。実際、今まで1回も思ったことはなかった。でも2回目の「ラブ・アクチュアリー」を見た後で、僕は不覚にもそう思ってしまった。
連中が好きだったな、と、思った。
不幸せな人間が集まって、弱々しくも幸せを掴もうとしていたあの日々には、みみっちくも確かな「愛」があったと思う。
そしてあの日々はもう、二度と返って来ないのだという事実に、今更になって気づいたのだった、
そうか、この部屋に誰を連れて来ようと満たされない、あの気持ちは、仙台に置いてきてしまったのか。
…ダメだ、意外とまとまりのない文章になってしまった。実は先述の傷心パーティーにはある秘密があって、本当はそれについて触れてオチに繋げようと思っていたのだが、途中で「書かないほうがいい」と判断したので全部消した。
だからこんな締め方になってしまうが、普段ならボツにするこの文章を、今日はなんとなく、投稿してみようと思う。
だってクリスマスだし。え、まだなの?うそ?