エッセイ

タイトルなし

先輩の死による気持ちの整理がつかなくたって、生活は続くし、仕事はお構いなしにやってくる。

 

ここ数日、9時に家を出て、23時半に帰ってくる生活が続いている。それくらい余裕だぜヘイヘイと思っていた、過去の自分をぶん殴りたい。最近、朝起きても、疲れが全然取れていない。

 

突然蒸し暑くなった深夜の23時半。帰り際に寄った近所のスーパーでは、活気あるはずの総菜コーナーが更地になり果てていた。仕方がないので適当なカップラーメンをカゴに放り込み、活気のないゴーストレジヘと向かう。

レジスターを弄る皺だらけの中年女性から、閉店間際に来るんじゃねえ、こっちは精算で忙しいんだよ、という無言の圧力を感じる。「割り箸ひとつ」と言うと、無言で割り箸をビニール袋に投げ入れてくれる。割り箸は清々しく、ビニール袋を突き破る。深夜のビップ待遇に違いない。今日も頑張った甲斐があった。

 

家に帰ると、朝急いで飛び出した形跡として、枕と毛布が床に落ちて散らかっている。どさりと荷物を投げ捨ててソファに座る···と、立てなくなるのは分かっているので、重い腰を下げないようにして、即、シャワーを浴びる。ドライヤーで髪を乾かし終わる頃には、もう日付が変わろうとしていた。

 

 

溜息をひとつ、つく。

 

 

こんな日々がいつまで続くのだろう、という気持ちと、こんな日々はもうすぐ終わるのだ、という気持ち。ふたつの感情が、スモーキーな頭の中でせめぎ合って、今夜も少しだけ頭が痛い。

 

そうだ、ずっと頭痛が治らない。無視出来るか出来ないかの瀬戸際の痛みが、脳みその奥でチリチリと蠢いている。頭の中で、霧状の小雨が降っているよう。いくら梅雨でも、これはやりすぎだ。

 

頭痛による思考能力の低下を感じる。この文章も、考えているようで考えていない。頭が痛い。思考がまとまらない。去年の秋に腸炎になったときよりも、ある意味辛いかもしれない。「疲労とはもっとも厄介な病である」と言ったのは誰だったか。たぶん、月岡彦穂だ。

 

こういうときに、人は酒やタバコに走るのだろうか。正直、そんな気分にはまったくならない。

せめてもの救いは、音楽だ。音楽を聴くことだけが楽しい。自分が自分でなくなる感覚が、とろけるように気持ちいい。

 

音楽は自傷行為に近いのかもしれない。最近はそう、思うようになった。音楽に浸るのは、自分を否定し、一時的に忘れる行為に等しい。

イヤホンの中には、楽園がある。仮初めの楽園なので、それはエデンと言うよりかはユートピアに近いのだが、そのユートピアには、誰であろうとも、いとも簡単に行ける。そこでは、欲しいものは全て手に入り、嫌いなものはとことん破壊できる。自分に都合のいいものだけを集めた、夢のような世界。それが、イヤホンの中には、音楽の中には、存在している。

でも、音楽に陶酔し、ユートピアに通いつめると、人は本来の世界に帰れなくなる。現実と妄想の区別がつかなくなる。本来の自分、ありのままの自分を認めたくなくなり、またユートピアヘと通う。その繰り返しでしか、人生を謳歌できなくなる。

 

ふう、やめようかこの話。論点がまるでまとまらない。それでも削除せずに残しておくあたり、なんだかやっぱり、ボクは少し疲れているみたいだ。

 


…我ながら良い曲だ。

-エッセイ

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