6月になって、就活の面談が解禁された。
と同時に、おもしろいニュースを見た。
「今日、面談解禁。内定を得た学生は50%以上。」
「早くも後半戦か」
···早くも後半戦????
今日から始まったのに??????
ボクは就活というしくみが嫌いだ。
大人が作ったルールの中で、マナーも、勝ち方も、すべて大人が決める。
学生はネットで得た表面的なマナーを振りまいて、すべての会社に「第一志望です」と言い、嘘八百の志望動機を並ベ立てる。個性を出したつもりでも、結局全員同じことを言っている。
大人にはすベてわかる。だってその振る舞いも言葉も、全部大人の発明品だから。
大人たちに都合よく作られた道(就活もそうだし、学校もそうだ)に沿って、ボクらは歩かされている。
社会のしくみを知らない子供のころに、社会のしくみを知った大人に育てられるのだから当然だ···と、最近まで思っていたのだが、
いまは、こう思うのだ。
「大人も、社会のしくみなんて知らない」
理由は単純。
たいていの大人はこう考えているからだ。
「しくみなんて知らずに、決められた道を歩いている方が、楽。」
本当に頭の良いごく一部の大人が「何も知らなくても生きていけるしくみ」を作ったのだ。
「頭の良い人」は多すぎても困る。一定数の「歯車」がなくては、そのしくみは回らない。
そう、
「しくみなんて知らずに、決められた道を歩いている方が、楽。」と、思わせれば勝ちなのだ。
世の中のほとんどの人間は、ただの歯車だ。ごくー部の、本当に頭の良い人間だけが、歯車を使って世の中を回している。
そして歯車はときに「人材」というキレイな言葉で言い換えられる。ボクはこの言葉が大嫌いだ。
自分が歯車なのが悔しい。回される側ではなく、回す側になりたい。そのためには、本当に頭の良い人間になるしかない。
だから人は勉強するのかな、と、最近はよく考える。