短編小説

【ショートショート】④立花光一

「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」と言ったのはチャーリー・チャップリンだが、本当にそうか、と立花光一は疑っている。何年経ってどれだけ遠くから見ても、悲劇は悲劇のまま。それを喜劇と呼んでしまえるのは、単に、喉元過ぎて熱さを忘れてしまっただけではないか。

 

恋人の岸川志穂が就活に失敗し、就職浪人が決まったときもそうだった。正確には、ひとつだけある会社から内定を貰えていたのだが、彼女は自分に合わないと断ったのだ。あの意志の弱い岸川志穂が断るくらいだから、よほど酷い会社だったのだろう。

結果、岸川志穂は進路が決まらず、両親からの仕送りを断たれ、アルバイト生活を余儀なくされた。家賃を払えないからと、アパートの部屋を引き払い、立花光一の部屋に居候という形で転がり込み、昼も夜もないコンビニで働き、再び就活するための費用を溜めている。家賃は自分が全部出すから、と提案したのだが、生真面目な彼女は、それを頑として受け入れず、交渉の末、家賃の3分の1を彼女が払うということでまとまった。「私の気が済まないの」ということらしい。


 

それから2ヶ月。ベッドに眠る岸川志穂の寝顔を見ながら、これが喜劇か、と立花光一は溜息をついた。そんなはずはない。これが喜劇というのなら、チャップリンの奴は阿呆だ。大阿呆野郎だ。なぜ24年間も真面目に生きてきた岸川志穂が、こんな目に合わねばならぬのか。

そして、とも思う。そしてなぜ、口八丁だけで生きてきた自分は、一流企業に勤め続け、綺麗な女性と6年間も付き合い、休日には友人と酒を飲み、好き勝手遊ぶことができるのか。

神様、と立花光一は呟く。あんたの采配なのか。だとしたら、幸せのパラメータ配分、間違えてますよ。

不幸になるべきは俺で、幸せになるべきは志穂だ。絶対、そうだ。神様、聞いてんのかよ、おい。

 

部屋の隅で、薄く埃を被ったハニーサンバーストのエレキギターが目に入る。虎目模様のボディには無数の傷がつき、歴戦の猛者といった雰囲気を醸し出している。ひょうたんのような形をしたギターの、左上にあるピックアップセレクターが、まるでつぶらな瞳のようだ。思わず目が合ってしまう。

どれくらい触っていないだろう。立花光一は思い出そうとするが、「やっていないこと」を思い出すのは案外難しく、すぐに諦めた。

「ま、いっか、別に」

と呟くと、岸川志穂の眠るベッドに潜り込む。


 

「なぜバンドマン崩れの俺が、こんな綺麗な女性と付き合っているのかって?答えは簡単さ。俺が口説きに口説いた、それだけだ。6年前、大学1年生だった志穂を見て、俺は一目惚れしちまったのさ。そう、それほどまでに、彼女は美しかった。そして美しさの中に、どこか危うい儚さも兼ね備えていて、俺はそこに惹かれちまったのかもしれないな。…ライブハウスに誘って、俺たちの演奏を見せて、打ち上げに参加させて、駅まで送る。最初は警戒されていたが、それを繰り返していれば、自然と心も開いてくれる、ってな。簡単さ。そんなもんだろ?」

真偽のほどは不明だが、とりあえず真、ということで話を進めよう。大事なのは、今、立花光一と岸川志穂は恋人同士である、そういうことだ。

 

「神様のパラメータ配分には、不満もあるが概ね感謝しているよ。俺は勉強はからっきしだったが、コミュニケーション能力は人一倍秀でていた。就活は面白いくらいうまくいったし、だれもが羨む一流企業に内定を貰えた。それを機に、バンドは辞めた。ちっとも売れなかったしな。足を洗ったってわけさ。志穂はその頃大学院への進学を決めていたから、俺が先に働いて、金を貯めて、大学院出たら娶って、養ってやろうって算段だったのさ。…でもまさか本当に、養うことになるとはな」

真偽のほどは不明だが、とりあえず真、ということで話を進めよう。大事なのは、今、立花光一には安定した職があり、岸川志穂にはない、そういうことだ。


 

そんな口調だったっけか、と立花光一は苦笑いを隠せない。

「俺、そんなオラオラしてたか?」

と、声真似をしていた妹に尋ねると、

「大学生の頃は、こんなだったよ?」

と、素の声でケラケラ笑われた。

 

久しぶりの実家で、夕飯の席だ。ただいま、と玄関を開けると、高校2年生になった妹が駆け寄ってきた。妹は「おかえり」より先に「あっ、聞いてよお兄ちゃん」と興奮気味に話し始めた。

 

「ゼロスタのコピーバンドを友達とやる」

 

妹の話を要約するとこうだ。ビールを飲みながら、立花光一は妹の話に耳を傾ける。しかしまあ、と苦笑いしてしまう。つくづく変わった妹だ。

 

俺のバンドの、コピーバンドを組むだなんて。

 

「ゼロスタを知っている奴なんていたのか?」

「うん、やっと見つけたの」

「咲は友達多そうだもんな」

「でもほぼ初対面よ」

去年同じクラスだった堤くんって男子、と、妹の立花咲は笑う。男だったのか、咲も高校生だもんなぁ、と感慨に耽っていると、思わぬ一言に立花光一はひっくり返ることになる。「お兄ちゃん、人ごとじゃないからね」

 

「お兄ちゃんと志穂ちゃんも、私のバンドに入るのよ」


 

さて、これは悲劇か、それとも喜劇か。

役者は、これで出揃っただろうか。

 

「あいつは今どうしているかな」と、立花光一は元バンドメンバーにして旧友、月野春彦に想いを馳せる。

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