昨日のブログに対して様々なコメントを頂いたので、それに返信していこうと思います。
⬇︎昨日のブログ⬇︎
⬇︎ここから返信⬇︎
実は私の身近な大切な人も教員で、この状況とほぼ同じ働き方をしてた。教員の現場は変わるべき。
こういう記事こそ拡散されるべき!
月岡さん、声にしてくれてありがとうございます!広まれー! https://t.co/eqm056CHka— yoshiko (@YoshikoMusic11) February 6, 2019
やっぱりひとりふたりじゃないんですね、こういう人って。きっとだからこそ、同調圧力のようなものが生まれてしまう。
「俺も頑張ってるんだから、お前も頑張れ。」「若い頃は苦労するもんだ。」…そういう言葉は、100%で受け取っちゃいけないんですよ。へぇ、くらいが丁度良いんです。でも教員って誠実で努力家な方が多いから。文化として「キャパオーバーな努力」が定着してしまうのかもしれないですね。
教員の友達や知り合いが多いので気になっちゃうなぁ。
楽なお仕事はないと思うし、頑張らないといけない局面は沢山あると思うんだけど、毎日が100%だったら、本当に100%が必要な時、自分が壊れちゃうと思うんです。僕個人の感覚です。 https://t.co/mKEYzDkmm1
— 板橋"けんてぃー"健太(ソライロブランケット) (@kenty_guitar) February 6, 2019
そうですね。前に書いたことと同じで、人間は24時間フルパワーで生きていける動物ではないと思います。教員が平均よりもハードなお仕事なのは事実として仕方ないとしても、「抜き方」を模索していく必要はありますよね。
先生ってほんとにすごいよね、屁理屈言って困らせたけどほんとに申し訳なさすぎる https://t.co/JD9AalGf7o
— なの(太郎) (@yuricp3150) February 6, 2019
屁理屈言って困らせたっていいんですよ。それは生徒が成長するための権利ですから。
ただ「授業があるのは当たり前でなくて、先生は何かを犠牲にしてこれを作った可能性がある」という視点は、いつか役に立つかもしれません。…一歩間違えると、ボクみたいに胡散臭いブロガーになっちゃうかもしれませんが。笑
「子どもが可愛い」。熱心な教育者ほどこの感情を持つもので、そしてそれは素晴らしいことなのだけど、同時にそこに漬け込む大人、そこに漬け込む仕事。そういうのたくさんあるんだよな。 /
教員の彼女と同棲したら、働き方が過酷すぎた話。 https://t.co/PFewE2ovLF @htgvsingliveより— あけまつしんじ@G検定本2/8発売!! (@minami106) February 6, 2019
最後は、このブログにも何度か登場している「あけまつしんじ」さん。
「漬け込む」という表現、すごく的を得ていると思います。
「子供が可愛いなら頑張れるだろ?」というのは、ある種の暴力みたいなものです。でも我々は無意識に、何かのプロに対してそういった要求をしてしまうんですね。
例えば美容院の2時間コースで2時間半かかったとしても、何の罪悪感も感じないでしょう?2時間のところを30分延長した、と見れば、あれだって立派な「サービス残業」です。
別にいいんですよ?2時間で切り上げたって。次のお客さん待ってるでしょう?
でもそれはしない。させない。我々は言います。「やっぱり前髪もうちょい切ってください」…少し延長するくらい、当たり前になっているんです。なんなら延長請求は、お金を払ってる以上「権利」だと思っていませんか?それ違いますからね。絶対。
…今の例えは直接的すぎるにせよ、教員の現場では同じことが頻繁に、どころか常に起きている訳です。
「生徒が万引きしたら指導をする」…親の仕事じゃないですかそれは?
「勉強に付いてこれない生徒には、放課後補習をしてあげる」…塾の仕事じゃないですかそれは?
「子供に関心のない親もいる」「塾に通えない家庭もある」分かってます。分かってますが、そんなふうに「〜な場合もある」を挙げてたらキリがないですよ。それ全てに漏れなく対応するつもりですか?
…ごめんなさい、言い方がキツかったですね。でも、そういうところから変えられるんじゃないかなと思います。我が身を省みても、社会全体として「教員は子供が好き」に漬け込まないよう心掛けていきたいものです。