僕のブログでは、2位と圧倒的な差をつけてこの記事が一番読まれている。
『教員の彼女と同棲したら、働き方が過酷過ぎた話』
もう遠い昔のことのようだが、社会人になりたての頃、僕は彼女と同棲していて、彼女は学校の先生だった。彼女の生活があまりにも悲惨に見えたため、別れて1年弱経った後に気持ちを整理して書いたのがこの文章だ。
どうやら、現役の教員の方達にたくさん読まれているようだ。Twitterでコメント付きリツイートをしている人のアカウントに行くと、かなりの確率で教員であることに驚く。ほとんどの人は疲れており、愚痴を書き、現状を嘆き、中には精神を壊して病気で療養中の人もいた。ほとんどの人は「現状を多くの人に知ってほしい」「彼女の苦しみが痛いほど分かる」と同情とも嘆きともいえるコメントをしてくれる。
たくさん読んでもらえて、書き手としてはもちろん嬉しい。でもその反面、こんな記事が共感を生むような世の中は嫌だとも思う。働き方改革の叫ばれる今、我々のしょうもない生き方はこれから変わっていくべきだ。
現実はそう簡単に変わらない。でもいつかそう遠くない未来に、この記事を読んだ人が「こんな時代があったなんて信じられない」と驚いてくれることを願う。僕は教員の悪しき文化が根絶された未来を望んでいる。
僕の記事はちょうど、戦争体験者の語り部のような形で世の中に出回っている。幸か不幸か、いくつかのキーワード(例えば『教員 彼女』など)のGoogle検索もずっと1位だ。広まっていることは間違いない。
令和元年の僕たちは、戦争を知らない。飢餓も差別も知らない。次の時代の人たちは、平成から令和にかけての教員の働き方なんて、知らないままで生きてほしいと思うのだ。悪い冗談だろ?って言ってほしい。